7世紀のはじめ、女性の「推古天皇」が即位し、おいの( 聖徳太子 )が「摂政」になり、天皇を中心とする政治制度を整えようとしました。
- 「冠位十二階」は、家柄にとらわれず、才能や功績がある人を取り立てる制度です。
- 「十七条の憲法」では、和を大切にして争いをやめ、天皇の命令を守ることを示しました。
冠位十二階
- 603年に聖徳太子がさだめた、【氏】や【姓】にとらわれずに人材を登用するようにした制度を(冠位十二階)といいます。
十七条憲法
- 604年に聖徳太子は、役人の心得をしめすために、(十七条の憲法)をさだめました。これは天皇の地位をあきらかにするためでした。
遣隋使
- 文化や制度をとりいれるために、聖徳太子が【隋】に送った使節を(遣隋使)といいます。最初の使節は【小野妹子】で、留学生や僧も同行しました。
飛鳥文化
- 聖徳太子の時代にさかえた文化を(飛鳥文化)といいます。仏教の影響が強いのが特徴です。
法隆寺
- 現存する世界最古の木造建築で、聖徳太子が建てたとされる寺院は(法隆寺)です。釈迦三尊像や百済観音像、玉虫厨子などがあります。
台本風にしてみました。
→大宝律令