057.日本の産業革命

日本経済は、1886年ごろから、「紡績」や「製糸」などの「軽工業」が発展しました。紡績業は、綿糸を輸入していましたが、やがて原料の綿花を輸入して、綿糸を輸出するようになりました。また製糸業はおもに「アメリカ」向けの輸出産業として発展し、日露戦争後には世界最大の輸出国になりました。

軽工業の発展

  • 日本では1886年ごろから、「繊維」(せんい)などの「軽工業」を中心に「産業革命」がおこりました。
  • 鉄鋼などの「重工業」は立ちおくれていました。

紡績業

  • 「紡績業」とは、「綿花」から「綿糸」をつくることです。
  • 1885年には「綿糸を輸入」していました。
  • その後、輸入綿花が安く手に入り、綿糸を安く作ることができるようになりました。
  • 原料の綿花を輸入して、「綿糸を輸出」するようになりました。
  • 1898年ごろには、輸出量が輸入量を上回るようになりました。

製糸業

  • 「製糸業」とは、「繭」(まゆ)から「生糸」(きいと:絹糸の原糸)をつくることです。
  • 製糸業は、「アメリカ」向けの輸出産業として発展しました。
  • 日露戦争(1904-1905年)後には、世界最大の輸出国になりました。
  • 紡績業や製糸業の担い手になったのは、男性よりも「賃金の安い」女性たちでした。

八幡製鉄所

  • 「日清戦争」後に、「官営」の「八幡製鉄所」が、現在の北九州市に建設されました。
  • この場所は、港に近く、「中国」から「鉄鉱石」を輸入するのに便利でした。
  • また、九州北部の筑豊地域でとれた「石炭」を鉄道で運び込むこともできました。

第一次世界大戦と日本