036.元寇

1274年の「文永の役」と、1281年の「弘安の役」をあわせて( 元寇 )といいます。

モンゴル帝国

  • モンゴル帝国の国号を「元」とあらためたときの皇帝は「フビライ・ハン」です。
  • モンゴルの襲来を「元寇」といいます。

文永の役

  • 1274年に元軍が攻めてきました。これを「文永の役」といいます。
  • 元軍は、集団戦法や優れた火器(火薬)を用いて幕府軍をなやませました。

弘安の役

  • 1281年に元軍がふたたび攻めてきました。これを「弘安の役」といいます。
  • 幕府軍は元軍を退けました。

元寇の影響

  • 元寇の後、御家人の生活は苦しくなりました。
  • 理由として、御家人への元寇の「恩賞」が不十分だったことがあげられます。
  • また、領地を「分割相続」したこともあげられます。

徳政令(永仁の徳政令)