1639年に幕府は「ポルトガル人」を追放し、1641年には平戸の「オランダ」商館を長崎の「出島」に移しました。このような幕府による、キリスト教の禁止、貿易統制、外交の独占の体制を( 鎖国 )とよんでいます。
江戸時代のはじめ
- 江戸時代のはじめのころ、キリスト教の禁止(禁教)は不徹底でした。
- なぜならば、海外との貿易によって利益を得ることを目的としていたからです。
「鎖国」の完成
- 1637年、「島原・天草一揆」が起こりました。
- 1639年、「ポルトガル人」を追放しました。
- その後、「オランダ」の商館を平戸から、長崎の「出島」に移しました。
- 長崎で貿易を許されたのは、中国船とオランダ船だけでした。
- 幕府は海外の情報を得るために、オランダ人に「オランダ風説書」を提出させるようにしました。
- このような、禁教、貿易統制、外交独占の体制を「鎖国」といいます。
江戸幕府の宗教政策
- 幕府はキリスト教徒を発見するために「絵踏」を行いました。
- また、「宗門改」によって、仏教の信者であることを寺に証明させたりしました。
→植民地