1858年、幕府はアメリカとの間で( 日米修好通商条約 )をむすびました。
この条約で次の5港を開いて貿易をおこなうことを認めました。
- 「函館」
- 「神奈川」(開かれたのは「横浜」です。)
- 「長崎」
- 「新潟」
- 「兵庫」(開かれたのは「神戸」です。)
その後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスともほぼ同様の条約をむすびました。
不平等条約
- この条約は、日本が「領事裁判権」を認め、日本に「関税自主権がない」不平等条約でした。(→「056.条約改正」へ)
開国・開港の影響
- 貿易がさかんになるにつれて、国内の「綿織物業」は打撃をうけました。
- なぜならば、「関税自主権」がなかったため、安い外国製品が大量に輸入されたからです。
- 国内の「絹織物業」も打撃をうけました。
- なぜならば、「原料」である「生糸」の輸出が増えて、国内で品不足となったからです。
金の流出と物価の上昇
- 金と銀の交換比率が、日本と外国とでは大きな差がありました。
- 日本では、金:銀は1:5でしたが、海外では1:15でした。
- このため、外国に大量の小判(金)が流出しました。
- 幕府は外国の比率に合わせるために、小判を小さくする改鋳をおこないました。
- 小判(金貨)1枚あたりの価値が下がったため、「物価が上昇」してしまいました。
- このため、人々の生活は苦しくなりました。
観光資源
- 観光資源として、「函館」の和洋折衷住宅、「横浜」の外国人墓地、「神戸」の異人館が有名です。
- これらは、「日米修好通商条約」による開港をきっかけに、日本国内に外国人が居住するようになったためつくられたものです。
→廃藩置県