056.条約改正

不平等条約の内容は、「領事裁判権を認めた」ことと「関税自主権がない」ことです。

  • 「日米修好通商条約」をはじめとして、日本がオランダ、ロシア、イギリス、フランスとむすんだ条約は、いわゆる「不平等条約」でした。
  • 「鹿鳴館」で舞踏会を開くなどの「欧化政策」をとったのは、不平等条約を改正するために、近代化した姿を示す必要があったからです。

領事裁判権

  • 日本は、「領事裁判権」(治外法権)を認めていました。
  • 「領事裁判権」とは、日本で罪をおかした外国人を、その外国人の属する国の領事が裁く権利です。
  • よって、このような外国人を、日本の法律で裁くことはできませんでした。
  • フランス人のビゴーは、日本政府を批判する風刺画を描きましたが、日本政府は彼を取り締まることはできませんでした。これは、フランスに対して「領事裁判権」を認めていたからです。

関税自主権がない

  • 日本には、「関税自主権」がありませんでした。
  • 「関税自主権」とは、輸入品などに対してかける「関税率」を自主的に決定する権利のことです。
  • 「関税」は、輸出品や輸入品に課せられる税金のことです。
  • おもに自国内の産業を保護するために課せられます。
  • 「関税自主権」がなかったため、開港後は、日本国内に外国産の安い「綿織物」が大量に輸入されました。これによって国内産業は打撃を受けました。

陸奥宗光

  • 1894年、「陸奥宗光」外務大臣は、「イギリス」との間で、「領事裁判権を撤廃」した「日英通商航海条約」をむすびました。
  • これは、「ロシア」の「南下」に対抗するため、イギリスが日本との関係を重視したからです。
  • このとき、関税自主権の「一部」が回復されました。

小村寿太郎

  • 1911年、「小村寿太郎」外務大臣は、関税自主権を「完全」に回復した条約をアメリカとの間にむすびました。

日本の産業革命